
「このアーティストは大好きだけど、同じように流行っているあのアーティストには、なぜかハマれない…」
音楽好きなら、一度はそんな風に思ったことがあるのではないでしょうか。
私の場合はそれが、米津玄師、宇多田ヒカル、藤井風、YOASOBI、King Gnu、緑黄色社会、そしてPenthouseといったアーティストたちと、今や絶大な人気を誇るMrs. GREEN APPLEとの間に横たわる、不思議な「壁」でした。
もちろん、どのアーティストも素晴らしい音楽を作っていることは大前提です。これは優劣の話では全くありません。ただ純粋に、「私の心は、なぜこちら側には激しく揺さぶられ、あちら側には静かなままなのだろう?」という個人的な興味から、自身の音楽の好みを深く掘り下げてみることにしました。
これは、単なる好き嫌いの話を超えて、自分自身が何を大切にし、何を表現しようとしているのか、その核心に迫る旅の記録です。
共通点を探る:私が夢中になるアーティストたち
まずは、私が好きなアーティストたち——米津玄師、宇多田ヒカル、藤井風、YOASOBI、King Gnu、緑黄色社会、そしてPenthouse——の音楽に共通する要素を、3つの軸で探ってみました。
軸①:心揺さぶる「音楽的な複雑さ」と「洋楽の香り」
彼らの音楽に共通しているのは、J-POPの王道的なコード進行や構成から、少しだけはみ出した「複雑さ」や「専門性」です。
宇多田ヒカルさんや藤井風さんのサウンドには、R&Bやソウル、ゴスペルといったブラックミュージックの深いグルーヴが根付いています。King Gnuが標榜する「Tokyo New Mixture Style」は、ロック、ジャズ、クラシックまでもが渾然一体となった、まさに唯一無二のサウンドです。そしてPenthouseは、洗練されたシティポップやファンク、R&Bの要素を巧みに取り入れ、都会的でグルーヴィーなサウンドを聴かせてくれます。
また、米津玄師さんやYOASOBIは、ボーカロイドやインターネットカルチャーをルーツに持ち、その曲展開は予測不能でスリリング。情報量の多いサウンドの中に、どこかデジタルな質感が漂います。
彼らの音楽は、ただ聴き心地が良いだけでなく、聴き手に「これはどうなっているんだ?」と考えさせるような知的な刺激を与えてくれるのです。
軸②:「光」だけでなく「影」を描く深み
私が惹かれるアーティストたちの歌詞や世界観には、単純なポジティブさだけではない、「影」や「憂い」が色濃く存在します。
米津玄師さんが描くのは、しばしば個人的な孤独感や社会への違和感。宇多田ヒカルさんは、人間関係の繊細な機微や喪失感を、胸が締め付けられるような言葉で紡ぎます。Penthouseの楽曲も、都会の喧騒の中での大人の恋愛や葛藤、ふとした瞬間の憂いを鮮やかに切り取ります。 彼らの音楽は、人生の明るい側面だけでなく、痛みや葛藤から目を逸らしません。
それは、アーティスト個人の内面から湧き出る、極めてパーソナルな感情の吐露です。聴き手は、まるで1対1でその魂と対話するような感覚で、その世界に没入していきます。
軸③:個の才能が光る、あるいは緻密に構築されたアート性
米津玄師、宇多田ヒカル、藤井風。彼らは作詞・作曲・編曲まで自身で手がける、孤高の総合アーティストです。King Gnuにおける常田大希さんのように、プロジェクト全体を牽引する強烈な「個」の才能が、音楽に絶対的な説得力を与えています。
Penthouseは、各メンバーが持つ高度な演奏技術と音楽理論に裏打ちされた緻密なアレンジで、その世界観を構築しています。彼らのアートは、バンドという共同体が生み出すケミストリーとは少し異なり、一人の天才の脳内宇宙を覗き見るような、あるいは熟練の職人技が光るような、圧倒的な体験をもたらしてくれます。
なぜMrs. GREEN APPLEではないのか? 対極にある魅力
では、一方でなぜ私はMrs. GREEN APPLEに「別の感動を覚える」のでしょうか。
彼らの音楽を分析すると、その魅力が、私が好むアーティストたちとは全く別のベクトルを向いていることが分かります。
彼らの音楽の真骨頂は、スタジアムを埋め尽くす何万人もの人々が、一斉に手を振り、声を枯らしてシンガロングできる「祝祭感」と「解放」です。
そのサウンドとメッセージは、個人の内面(内向き)ではなく、社会や世界(外向き)へ向かって大きく開かれています。「僕ら」という主語で歌われる普遍的な希望の歌は、聴く人すべての背中を押し、巨大な一体感と多幸感を生み出します。
それは素晴らしい音楽の形ですが、私の心は、その外向きの「祝祭」よりも、内向きの「対話」を求めてしまうようです。
そして、自分の音楽活動「Roasted Dice Studio」へ
この分析は、最終的に私自身の音楽活動である「Roasted Dice Studio」へと繋がりました。
私が作る音楽は、どんな性質を持っているのか。
6枚目のアルバムに『Chronicles(年代記)』と名付けたのは、自分の人生や活動の「記録」を個人的な視点で紡ぎたい、という思いの表れでした。
息子と二人でレーシングカートに行った日の高揚感を『アクセルを踏んで』という曲にしたのは、不特定多数に向けた応援歌ではなく、「自分だけの具体的な体験」こそが創作の源泉だと信じているからです。
そう、私が無意識にやっていたことは、私が敬愛するアーティストたちがやっていること——個人的な体験や思想を、自分だけの音楽でアートに昇華させること——と、全く同じだったのです。
結論:音楽の好みは、生き方や表現したいことの「写し鏡」だった
今回の自己分析を通して、音楽の好みは、単なる趣味嗜好ではなく、その人がどう世界と向き合い、何を表現したいかという「生き方の写し鏡」なのだと気づきました。
私が、内省的で、音楽的に複雑で、少し影のあるアーティストに惹かれるのは、私自身がRoasted Dice Studioという場で、そういう表現を追求しているから。自分の創作活動が、そのまま音楽の好みに反映されていたのです。
Mrs. GREEN APPLEの音楽が起こす奇跡的な一体感も、米津玄師や藤井風、そしてPenthouseの音楽がもたらす洗練された感動も、どちらも等しく尊い。
大切なのは、その音楽の中に、自分自身の姿を見つけられるかどうか、なのかもしれません。
さて、あなたの好きな音楽には、どんな「あなた」が映っていますか?


